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鳩山邦夫氏の死去と、「死刑になりたかった」犯人と。 [時事ニュース]

自民党(だったよね?最後は)の鳩山邦夫氏が先日亡くなった。
鳩山氏といえば、法務大臣だった時に死刑執行を連発したので有名。
(そうです、死刑だと決定するのは裁判所ですが、執行を決定するのは
法務大臣なのです。だから大臣によっては、その人の在任中に
一度も死刑執行をしない、というケースもあるのです)

今ちょっと調べたら、やっぱり法務大臣として死刑執行回数が歴代一位だそうだ。
たしか宮崎勤の死刑を執行したのもこの人だったと記憶している。

死刑は裁判所で言い渡された順に執行されるわけではない。
死刑囚になってから何十年も獄中で生きる人もいれば、
付属池田小で児童を何人も殺傷した宅間守のように、
1年もしないうちに執行される人もいる。

つまり死刑囚になっても、いつ死ぬかはその時点では誰にもわからないのだ。

鳩山氏の死去のニュースより前に、北海道の釧路のショッピングセンターで
若い男が女性を次々とナイフで刺して死傷させる事件があった。
犯人は「人生を終わりにしたかった、人を殺せば死刑になると思った」
と動機を語ったそうだ。

この犯人が裁判によってもし死刑が確定したとしても、
前述のとおり 死刑の執行がいつになるか 誰にもわからない。

つまり、死にたいから人を殺して死刑になる・・・という行為は、
自分の死を 永遠に他人の手に委ねるのと同じことだ。
日本では、自殺は罪ではない。言い換えれば、人は自ら死ぬ自由がある。

死刑囚になるということは、その権利を自ら捨てるのと同じだ。
法務大臣が自分の死刑執行にGoサインを出さない限り、
永遠に生きていなければならないのだ。
死刑執行がいつ決定されるか、死刑囚は当日の朝まで知らされないという。
つまり自分は明日死ぬかもしれないし、20年後、30年後かもしれない。
あるいは執行されないまま病死するかもしれない。
ただひとつ確定しているのは、自分で死ぬことはできないということだけだ。

自殺したくて人を殺すというのは、そういう行為だ。
ほんとうに死にたいと思っているなら、絶対選択肢に入れないほうがいい。
下手すると、宮崎勤のように、肉親が罪の意識で先に命を絶つかもしれない。
それでも自分を殺せないのだ、死刑囚になってしまったら。

釧路の犯人がほんとうに死にたかったのかどうかはわからないが、
人生を今すぐ終わりにしたかったのなら 大間違いな行動だったってことだ。

 「死刑になりたかった」ニュースのあとの、鳩山邦夫氏の死去のニュース。

はからずも、死刑制度について改めて思いをはせるきっかけになってしまった。


 

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